「宴会っていうのは、酒といっしょに好意を酌みかわしつつ一時を過ごし、そうして互いの交友をまっとうさせる、そのための催しだからね。」― プルタルコス『食卓歓談集』
飲み会や懇親会は、現代でも友人や学校、会社、ビジネスなど、人との関係を深める大切な場です。古代ギリシアでも、その役割は変わりませんでした。
「饗宴」は、古代ギリシア語の「シュンポシオン(συμπόσιον, Symposion)」の訳語です。
「シュン(共に)」と「ポシオン(飲むこと)」から成るこの言葉は、直訳すると「ともに酒を飲む会」を意味します。単なる宴会ではなく、人々が語り合い、歌い、哲学を論じ、友情を深めるための社交の場でした。
この言葉は現代にも受け継がれ、学術討論会を意味する「シンポジウム(Symposium)」の語源となっています。
シュンポシオンの伝統
シュンポシオンがいつ始まったのかははっきりしていません。しかし、ワインを飲みながら語り合う習慣は、かなり古い時代から存在していたようです。
ホメロスの叙事詩では、英雄たちは食事とワインをともにしながら相談し、重要な決断を下す場面がたびたび描かれています。
さらにミケーネ文明の宮殿跡からは、多数の酒杯が出土しており、王宮で盛大な宴が開かれていたことがうかがえます(岩波新書『ミケーネ文明』)。

そして紀元前5世紀、古典期アテナイ(現在のアテネ)でシュンポシオン文化は最盛期を迎えました。その様子を最も詳しく伝えるのが、哲学者プラトンが書いた『饗宴』です。
シュンポシオンの概要
シュンポシオンは、現代で言えば祝賀会や親しい仲間との宴会のようなものです。
現代と同様、「~の集い」と呼ばれるような上品な集まりもあれば、「飲み会」という響きがふさわしい「飲んで騒ぐ」だけの集まりもありました。ひとくくりで、「シュンポシオンとはこういうもの」とまとめることは難しいと思いますが、ここではごく一般的な内容をご紹介します。
シュンポシオンは、神殿や公共施設ではなく、裕福な市民の邸宅で開かれるのが一般的でした。主人が友人を自宅へ招き、食事の後に宴会室(アンドロン)へ移って、ワインを飲みながら語り合い、音楽や遊戯を楽しみました。
プラトンの『饗宴』でも、劇作家アガトンが演劇コンクール優勝を祝い、自宅へ友人たちを招待しています。その参加者の一人がソクラテスでした。

古代アゴラ西側のステノポス・コリュトス(Stenopos Kollytos)地区は、古代アテナイの代表的な住宅地の一つでした。現在見られる遺構の多くはローマ時代のものですが、その下には古典期の住宅が重なっており、この一帯では数百年にわたって人々の暮らしが続いていました。
シュンポシオンも、こうした邸宅で日常的に開かれていたと考えられます。現在は石積みだけが残る静かな遺跡ですが、約2400年前には、この場所でも人々がキュリクスを手にワインを酌み交わし、哲学や政治、詩について語り合っていたのかもしれません。
当時のアテナイは男性中心の社会であり、シュンポシオンへの参加者も基本的には男性です(女性演奏家や給仕はいました)。
宴にはシンポシアルコス(宴会監督)がいて、
- ワインをどのくらい水で薄めるか
- 飲むペース
- 宴の進行
などを決めていました。
ワインは多くの場合、そのままではなく水で割って飲みます(詳しくは「古代ギリシアのワイン」参照)。朝まで続くことも珍しくなかったため、ビールやチューハイ程度のアルコール度数で長く楽しんでいたのでしょう。
酒宴の始まり
参加者は部屋の壁際に並べられた寝椅子(クリネー)に、体の左側を下にして横たわり、左肘をついて宴を楽しみました。現代のように「座って飲む」という習慣はなく、寝そべって酒を飲むのです。左側を下にするのは、多くの人の利き手である右手を自由に使えるようにするためだったと考えられています。(なお、左側を下にすると胃液の逆流が少ないといった医学的理由があったわけではないようです。)

酒宴を始める前には、多くの場合「献酒(libation)」という儀式が行われました。これはワインを地面に注ぎ、酒神ディオニュソスをはじめとする神々へ感謝や祈りを捧げるものです。いわば、酒宴のオープニングセレモニーですね。
食事の時間と酒宴の時間は明確に分けられていました。食事は腹を満たす時間、酒宴は会話や音楽、詩、哲学などを楽しむ時間です。現代でいえば、食後に始まる二次会のような雰囲気だったのかもしれません。
つまり、「肉料理には赤ワイン」「白身魚には白ワイン」といった、現代においてワインを選ぶ際に考慮する「料理とのペアリング」という概念は、基本的には存在しなかったと考えられます。酒宴では軽いおつまみとして、ナッツ類やドライフルーツ、菓子などが用意されました。
しかも、現代のようにワインをそのまま飲むことは稀で、多くの場合は水で割って飲みました。
そのために用いられたのが、大型の混酒器であるクラテールです。宴の主人や給仕がクラテールの中でワインと水を混ぜ、それを給仕の少年が「オイノコエ」と呼ばれる注酒器で各人の酒杯へ注ぎました。



通常は各自が自分の酒杯を使いますが、プラトン『饗宴』の終盤では、大きな杯を右隣の人へ順番に回して飲む場面も描かれています。
キュリクス
古代ギリシアにも、カンタロスやスキュフォスなど、現代のグラスのように縦長の酒杯はありました。しかし、シュンポシオンで最もよく使われたのは、広口の浅い器である キュリクス です。

実際に使ってみると、この器はなかなか扱いが難しい形をしています。小さいものだとそうでもないのですが、大きくなるにつれて不安定さが増します。
口が広いため、少し手元がぶれただけで酒面が大きく揺れます。しかも浅いため、簡単に縁からこぼれてしまいます。それを、寝椅子に横になった姿勢で、しかも酔った状態で片手だけで扱う……。
どうなるかは、容易に想像できますね。
なぜこんな形だったのか
なぜ、あえてこんな不安定な酒杯が使われたのでしょうか。
残念ながら、その理由を直接説明した古代の記録は残っていません。
イギリス・ウォーリック大学の古典学者 マイケル・スコット 教授は、
シュンポシオンでは常に周囲から見られていることを意識し、自制心や教養を示すため、あえて扱いにくい器が用いられた
(How To Party Like An Ancient Greek With Historian Michael Scott, History Hit, Youtube)
という考えを紹介しています。
つまり、大きな酒杯を優雅に傾け、一滴もこぼさず美しく飲む姿そのものが、一種のパフォーマンスだった、というわけです。
飲むにつれて現れる絵
キュリクスの内側には、多くの場合、円形の絵が描かれています。この部分は「見込み」と呼ばれ、その中央の絵は トンド(Tondo、見込み画) と呼ばれます。

博物館では最初から鑑賞できますが、シュンポシオンでは事情が違いました。
ワインが注がれている間は絵はほとんど見えません。
飲み進めるにつれて少しずつ姿を現し、最後の一口でようやく全体が見えるのです。


そこに描かれるのは勇ましい英雄だけではありません。宴席らしく、酔っぱらいや、用を足している人物など、思わず笑ってしまうような題材も少なくありませんでした。
ただし、水で割ったワインは透明感があり、最初から絵が見えている場合もあったと思われます。とはいえ、古代ギリシアのワインは現代ワインのようなろ過工程を経ていないものがほとんどでしたので(好みによって手元でろ過する道具はあった)、水を加えても透明度は低かったかもしれません。
水割りワインの透明度実験については「古代ギリシアワインの再現」ページをご参照ください。
宴会芸のような「アイカップ」
キュリクスには、もう一つ面白い仕掛けがあるタイプがあります。
外側に大きな目が描かれた アイカップ(Eye Cup) です。


ワインを飲み干すために杯を大きく傾けると、その目がちょうど飲み手の顔と重なり、まるで古代ギリシア喜劇の仮面をかぶったように見えるのです。

上側の二つ目と丸い高台で、ポカンとした顔に見えます。キュリクスを持つ手が、ほっぺの位置で「あらまあ」といった仕草に。それだけではなく、下側の二つの目と実際の口で、もう一つのひしゃげた顔にも見えます。その場合手が額の位置にあり、少しうつむき加減に「あー、やっちまった」といった表情に。しかも、キュリクスの上下反対に飲んでも、確実に同じに見えるデザインです。
本人は豪快で格好よく飲んでいるつもりでも、なぜか対面の席の人に笑われているという光景が想像できますね。
キュリクスは「宴会のための器」
ワインを飲むだけなら、深くて縦長の器のほうがずっと実用的です。それでも古代ギリシア人は、あえて浅く扱いにくいキュリクスをメインの器として選びました。
美しく酒を飲む所作を見せること、飲むたびに現れる絵を楽しむこと、そしてアイカップで周囲を笑わせること。
キュリクスは単なる酒杯ではなく、シュンポシオンという社交の場を盛り上げるための道具だったのではないでしょうか。
音楽と踊り
酒宴には娯楽も欠かせません。
女性の音楽家や踊り子が演奏や舞を披露し、宴を盛り上げました。また、教養あるヘタイラ(高級遊女)が参加することもあり、音楽や会話、ときには男女の交わりも含めて、シュンポシオンは社交と娯楽の場でもありました。
音楽で使われた主な楽器は、アウロスと呼ばれる縦笛や、キタラやリュラーなどの竪琴です。竪琴の胴にはリクガメの甲羅が用いられ、羊の腸をより合わせたガット弦が張られていました。
ちなみに、下の写真は私が作成した古代ギリシア風リュラーです。アルビノ種のアカミミガメの甲羅を胴にし、山羊皮を張ってあります。水牛の角をアームにして、流木を渡してあります。弦は、ソーセージ用のひつじの腸を撚って作ったものです。


こちらは緑の甲羅+流木アームバージョンです。弦長がある分甲羅サイズが同じでも音が大きく鳴ります。
このリュラーの音色はどのようなものか、緑カメバージョンの動画でお聞きください(音が出ます)。牛の角で作ったプレクトラム(いわゆるピック)で弾いています。
こちらは、古代ギリシアの音楽を再現したYoutube動画です(音が出ます)。
シュンポシオンではこのような美しい音色を聞きながらワインを飲んでいたのでしょうか。
酒宴のゲーム「コッタボス」
宴会が盛り上がると、「コッタボス(Kottabos)」というゲームが始まります。
これは、キュリクスに残った酒のしずくを会場中央の的に向かって投げ、命中させる遊びです。酒杯の把手に人差し指を掛け、勢いよく酒を飛ばして的を狙います。
アテナイオス『食卓の賢人たち』には、
「カップを持って、どんなふうにやるのか決まりか、見せてくれよ。」「こうやって酒を飛ばすんだ。」
という会話まで記されています。当時の酒宴では定番の遊びだったようですね。
また、酒を投げるときには恋人の名を唱えることもあり、命中すれば恋が成就する前兆とも考えられていました。勝者には「コッタボス賞」と呼ばれる景品が贈られることもあり、夜更けまで人々を熱中させる酒宴の娯楽だったようです。

コッタボスを実際に行っている動画です(音が出ます)。
プルタルコス『食卓歓談集』では、「コッタボス競技の匂いをプンプンさせて」とあるので、ワインが飛び散って宴会場はカオス状態だったことが想像できます。
また、酔っぱらって勢いよく投げれば、キュリクスを落として割ってしまう人も少なくなかったでしょう。
このような破片は捨てられることなく、別の用途で使われることになります。「投票用紙」として、アテナイから追放したい有力者の名前を刻んだのが、「オストラコン」と言われるものです。
アテネの古代アゴラ博物館には、このようなオストラコンが大量に展示されています。

酒はほどほどに
古代ギリシアには、こんな言葉があります。
「分別のある人間たちには、わしは酒割り甕を三つだけ用意する。一は健康のため、まずこれを飲んでもらう。二は愛と快楽のため、して、三は眠りのため。賢者と呼ばれる者は、この三つ目を飲んで、家へ帰る。四つ目の甕など用はない。それは厚かましい者が飲む。五つ目は喚くやつばら。六つ目は乱痴気騒ぎ用。七つ目で目の下に隈ができ、八つ目で裁判所行き、九つ目は怒気を荒げ、十で気が狂って物をぶん投げる。小さな盃でもなみなみさせば、たちまち足がふらつくからのう。」
(エウブロス『セメレあるいはディオニューソス』、アテナイオス『食の賢人たち』(京都大学学術出版会)に掲載)

酒は人と人を結びつけ、会話や友情を深めるものである一方、度を過ぎれば争いや暴力、後悔を招くものでもある――そんな考え方が、この言葉には込められているようです。
シュンポシオンではワインを水で割り、宴会の幹事が濃さを調整していたのも、長く楽しく語り合うためでした。
例えば、10Lの酒割り甕(クラテール)を20人で用い、先ほど試した「ワイン1:水2」の割合で割ったと仮定すると、クラテール1杯あたり一人が飲むワインは約170mL(ワインボトル約4分の1本)になります。
エウブロスのいう「三の目の酒割り甕」まで飲むと約500mL、つまり現代のワインボトル約3分の2本に相当します。一方、「十の酒割り甕」まで続けばボトル2本以上になります。実際には途中で帰る人や寝てしまう人もいたでしょうから、最後まで宴に残った人が口にしたワインの量は、これより多くなっていた可能性もあります。
「八つ目で裁判所行き、九つ目は怒気を荒げ、十で気が狂って物をぶん投げる」という表現からも分かるように、古代ギリシア人は酒の楽しさだけでなく、飲み過ぎの怖さもよく知っていました。ワインを水で割る習慣も、宴を長く楽しむための知恵だったのでしょう。2500年前も今も、「酒はほどほどに」という心がけは変わらないようです。
宴の終わり
シュンポシオンは朝まで続くこともありました。
プラトン『饗宴』では、夜明けになるころには参加者のほとんどが酔いつぶれて眠るか帰宅してしまいます。最後まで起きていたのはソクラテスだけでした。
彼は朝になると静かに会場を後にし、浴場へ立ち寄って身を清め、そのまま普段どおり一日を過ごしたといいます。
朝まで飲んで、朝風呂を浴びて朝帰り。偉大なる哲学者ソクラテスをどこか身近に感じる逸話です。

シュンポシオンは、ただ酒を飲む場ではありません。
「酒といっしょに好意を酌みかわしつつ一時を過ごし、そうして互いの交友をまっとうさせる」――プルタルコスのこの言葉は、古代ギリシアの宴会文化を最もよく表しているように思います。
参考文献:
プルタルコス『食卓歓談集』柳沼重剛 編訳、岩波書店〈岩波文庫 青664-3〉、1987年。
周藤芳幸『ミケーネ文明──古代ギリシアの原像』岩波書店〈岩波新書 新赤版2104〉、2026年。
プラトン『饗宴』久保勉 訳、岩波書店〈岩波文庫 青601-3〉、2008年。
アテナイオス『食卓の賢人たち』柳沼重剛 訳、岩波書店〈岩波文庫 青675-1〉、1992年。
アテナイオス『食卓の賢人たち 1』柳沼重剛 訳、京都大学学術出版会、1997年。


