古代ギリシアワインの再現

ここでは、文献や考古学の研究を参考にしながら、古代ギリシアワインをできる範囲で再現してみました。

もちろん、2500年前のワインそのものを完全に再現したわけではありません。しかし、当時の醸造方法や材料を手掛かりにすることで、古代ギリシア人が口にしていたワインの雰囲気を体験する一つの試みとなっています。

※このページの内容をより深く理解するために、まずは古代ギリシアのワインをご覧ください。

アンフォラ熟成の赤ワイン

まずは基礎となるワインの調達です。日本では家庭でのワイン醸造は法律で禁じられていますので、ワインは購入する必要があります。

ただ、ここで一般的な樽熟成の赤ワインを使うことはできません。現在流通している高品質な赤ワインの多くはオーク樽で熟成されており、その樽由来の香りは、アンフォラ(陶製の壺)を用いていた古代ギリシアのワインとは大きく異なるためです。

幸い近年、樽を使わず、アンフォラを用いて発酵や熟成を行うワイン造りが見直されています。古代とまったく同じ製法ではありませんが、陶製容器を用いるという点では、古代のワイン造りを思わせる数少ないスタイルといえるでしょう。

そこで今回は、イタリア・トスカーナ産のアンフォラ熟成ワインを用いました。

サンジョヴェーゼ種の黒ブドウを野生酵母で発酵させ、アンフォラで長期間の醸し(マセレーション)を行い、亜硫酸塩を添加せず、ノンフィルターで瓶詰めされたワインです。

マンジャカーネ マルキオード ロッソ 2021(Mangiacane Malchiodo Rosso 2021)

まずはそのままでテイスティング。

最初に感じたのは、樽熟成ワインとは印象が大きく異なるということでした。

オーク樽熟成ワインで感じられるようなバニラやスパイスを思わせる甘い香り、あるいはスモーキーな余韻はほとんど感じられず、ブドウそのものの個性が前面に現れています。

口に含むと、まず舌先にわずかな刺激があり、アルコール感を比較的強く感じます。続いて、黒ブドウの果皮をそのまま噛んだような力強い収れん感が広がり、果実味も感じられるものの、果皮や種子由来のタンニンの存在感が非常に印象的でした。口当たりにも乾いた印象があり、ざらりとしたタンニンが長く続きます。

樽熟成では、木樽を通してごくわずかに酸素と触れることでタンニンが徐々に重合し、渋みが次第に丸みを帯びるといわれています。一方、このワインではタンニンの輪郭がはっきりと感じられ、ブドウ本来の力強さがそのまま表現されているように思いました。

今回使用したワインはサンジョヴェーゼ種で、この品種はもともと酸味とタンニンがしっかりした特徴をもちます。さらに、アンフォラ内で約3か月にわたり果皮や種を漬け込むという長期間の醸し(マセレーション)が行われており、今回感じた力強い収れん感は、その製法による影響も大きいと考えられます。木樽由来の香りが加わらないことに加え、長期間の醸しによって果実や果皮の風味、そしてタンニンが非常に直接的に表現されていることが印象的でした。

松脂コーティングのアンフォラでの貯蔵実験

今回選んだワインは「アンフォラ熟成」とはいえ、果たして松脂コーティングがなされているのかまでは確認できません。現代は陶器の高温焼成ができるため、防水処理はしていない可能性もあります。

ここでは、古代アンフォラにコーティングされていたという松由来の樹脂がどうワインの味に作用するのかを確実に知りたいため、「古代風ミニアンフォラ」の制作にとりかかります。このアンフォラにワインを1週間入れておき、味比べをすることにしましょう。

古代のワイン貯蔵用アンフォラは、船で輸送する際に船底で安定し、かつ上下に隙間なく重ねて大量輸送できるよう、底部が円錐状になっているのが特徴です。
作るとなると、2段階に分けて成形しないといけないため、通常の平たい底の壺よりも手間がかかります。

乾燥させて古代と同じく低温800度で焼成し、古代風アンフォラの原型が完成です。雰囲気を出すために少し「海上がり」の雰囲気を出しておきました。

ただし、素焼き状態の陶器は細かい隙間が空いており、このままワインを入れると1時間も経たないうちに外側に染み出し、それが蒸発して中身がなくなってしまいます。そのため、内側の防水処理が必要なのです。古代では「松由来の樹脂」が使われていたという分析結果が複数ありますので、松脂を使用してコーティングしていきましょう。

まずはアルコールに溶かした松脂を流し込み、アンフォラを回転させながら全体をコーティングしました。

ただし、古代に使われていたものは「加熱した樹脂」のようなのです。アルコール溶解で十分ではあるのですが、それだけでは古代のフレーバーは出ないと思い、さらに松脂を鍋に入れて弱火で熱します。次第に松脂が溶け、半田ゴテのフラックスを溶かしたときのような、スモーキーな香りが漂います。

高温の液体を注意しながらアンフォラに注ぎます。ドロドロの液体で、かつすぐに冷えて固まってしまうため、全体を満遍なくコーティングするのは至難の業です。事前にアルコールで溶かした松脂で全面コーティングをしてあるので、ムラがあってもよしとします。
アンフォラの中を、燻製のような香りが満たします。

この古代風アンフォラに、赤ワインを注ぎます。このアンフォラの最大容量は350mlですので、750mlワインの約半分を注ぎ込みました。なるべく空気を入れないほうがよいのでギリギリまで入れます。
これはプルタルコス著『食卓歓談集』に書いてあるアドバイスなのです。

「これが大事な点だが、甕の口までいっぱいに酒を入れておくこと。いっぱいにしないでおいた場合ほど酒は悪くならないのだ。酒で満たされていない部分には空気が流れこんで、中の酒を変質させやすいわけだ。」

パピルスをかぶせてヒモで縛り、その上に粘土で封をします。そして製造者を明らかにするスタンプを押しておきます。パピルスを被せるのは、粘土の封を壊すときに破片が中に入ってしまわないため。

酸化防止剤が入っていないため、念のため冷蔵庫での保管です。このまま1週間置いておきましょう。
冷蔵庫にアンフォラが入っている景色はなかなかシュールですね。

1週間後のテイスティング

さあ、待ちに待ったテイスティングです。

冷蔵庫から取り出してみると、アンフォラの表面は乾いたまま。つまり、松脂コーティングのおかげでワインは染み出していませんでした。まずは密封性が保たれていたことに一安心です。

ワインは温度によって味わいが大きく変わるため、そのまま数時間置いて常温に戻します。

粘土封を割り、麻紐をほどいてパピルスの覆いを外します。

すると、ギリギリまで満たしていたはずのワインが明らかに減っていました。完全に密閉したつもりでも、わずかな隙間から蒸発したのでしょう。

ワインを入れた直後(ギリギリまで入っている)
1週間後(把手の下の位置まで下がっている)

現代でも木樽で熟成するウイスキーやワインでは、蒸発して減った分を「エンジェルズ・シェア(天使の取り分)」と呼びます。古代ギリシアなら、酒の神にちなんで「ディオニュソス・シェア」とでも呼びたくなるところです。

さあ、キュリクスに注いでテイスティングです。

松脂の香りや、流し込んだときのスモーキーさがどこまで移っているのでしょうか。

……ところが、ひと口飲んでみると「あれ?」という印象でした。予想したほど変化がありません。

念のため、アンフォラに入れずに保管しておいた元のワインと飲み比べてみます。

すると、元のワインよりも果実味や酸味がわずかに穏やかになり、全体として丸みを帯びた印象はあります。しかし、その違いはごく僅かです。

1週間では短かったのかもしれません。しかし、おそらくこれ以上置いても松脂の風味が劇的に移ることはなさそうです。

むしろ今回使用したのは酸化防止剤無添加のワインなので、これ以上長期間保存すると、松脂の影響よりワイン自体の劣化のほうが大きくなってしまう可能性があります。

今回の実験からは、松脂でコーティングしたアンフォラはワインの酸味をやや和らげる可能性はあるものの、味わいそのものを劇的に変えるものではないという結果になりました。

そもそも「松脂の味」とは?

ただ、ここまで「松脂の影響」と書いてきましたが、そもそも「松脂の味」とはどうゆうものなのでしょうか。味の影響と言いながら、松脂そのものの味を知らないことに気づきました。

アンフォラづくりで使った松脂を水で洗い、小片を恐る恐る口にしてみます(自己責任ですのでお勧めしません)。

ネットリするものと思いきや、以外にもサクサク、ポリポリの食感です。

味はどうでしょう。しばらくの間は、無味です。

そのうち、ほのかなスモーキーさと微妙な苦みを感じます。鼻から息を吐くと、樽熟成のワインを飲んだ後のような木の香りをほんの少しだけ感じます。

この味を例えるならば、「噛み続けて味がなくなったチューインガムを焦がして、それを水で薄めた味」とでも言えるでしょうか。何しろ薄味です。

松脂本体がこのような感じですので、松脂コーティングのアンフォラに入れておいても「松脂の味や香りがワインに移る」ということはほとんどないのでしょう。つまり、松脂コーティングはワインの熟成・貯蔵用として大変優れた方法ということが、実際に食べてみてわかりました。

ワインの水割り実験

松脂の影響は予想よりも小さいものでした。しかし、現代のワイン文化と最も大きく異なるのは、「水で割って飲む」という習慣です。

水割りというと、「当時のワインはアルコール度数が非常に高かったから」と考えられがちです。しかし、ぶどうを発酵させるだけで得られるアルコール度数は現代のワインと大きく変わらず、およそ15%程度が上限です。

古代ギリシアで水割りが一般的だったのは、酔いの強さを調整しながら、長時間語り合い、宴そのものを楽しむためでもありました。

プルタルコス『食卓歓談集』には、次のような割合が紹介されています。

  • 2:3 … 「一番美しき調和を備えた割合」
  • 1:2 … 「心身を掻き立て、ほろ酔いをもたらす割合」
  • 1:4 … 「議論を交わす人々に向く割合」

今回は総量50mLとして試飲しました。元のワインはアルコール度数14.5%です。

  • 調和(2:3)
    ワイン20mL・水30mL・アルコール約5.8%
  • ほろ酔い(1:2)
    ワイン16.7mL・水33.3mL・アルコール約4.8%
  • 議論(1:4)
    ワイン10mL・水40mL・アルコール約2.9%

まずは色を比較してみます。

元のワインはほぼ不透明ですが、1:4まで薄めるとかなり透き通ります。キュリクスへ注いで見込み画を見てみると、1:2あたりから絵が透けて見えるようになりました。

上左:原酒、上右:調和(2:3)、下左:ほろ酔い(1:2)、下右:議論(1:4)
グラスに注いで色を見る。左から原酒、2:3、1:2、1:4

では、実際に飲み比べてみます。

  • 原酒
    果皮や種由来のタンニンによる渋みとコクがあり、果実味も濃厚です。
  • 調和(2:3)
    渋みやコクが穏やかになり、果実味や酸味が引き立ちます。軽快で飲みやすく、意外にも現代人でも十分おいしいと感じました。
  • ほろ酔い(1:2)
    渋みやコクはほとんど消え、爽やかな酸味が主体になります。フレッシュですが、現代のワインに慣れた舌には少し物足りなく感じます。
  • 議論(1:4)
    一言でいえば、おしゃれなレストランで出てくる「レモン水」のような印象でした。

水が増えるにつれて、渋みやコクといった重厚な要素は薄れ、代わりに酸味が前面に出てきます。結果として、とても軽く爽やかな飲み物になりました。

当時のギリシアには当然冷房はありません。しかも夜のシュンポシオンでは、炎を使うオイルランプを室内にいくつも灯していたと考えられます。

真夏に暖房をつけたような暑い室内で何時間も過ごすことを想像すると、濃厚なワインより、このような軽い水割りのほうが心地よかったのでしょう。

また、シュンポシオンは夜通し続くことも珍しくありませんでした。歌い、語り、哲学し、ときにはコッタボスなどの遊戯を楽しみながら何時間も過ごすのであれば、この程度の濃さのほうが宴そのものを長く楽しむには理にかなっています。

現代の私には、1:2や1:4は少し物足りなく感じました。しかし、古代にはハチミツやハーブなどを加えて飲むこともありました。薄い水割りワインをベースに、さまざまな風味を加えて楽しんでいたのでしょう。

今回、実際に水割りを試してみたことで、古代ギリシア人の酒宴がぐっと身近に感じられました。

単にワインを薄めただけではありません。宴会場の暑さ、夜通し続く酒宴、そして「酔うこと」よりも「長く語り合うこと」を重視した文化まで、実際に体験することができました。入れただけで古代ギリシアが身近になったのはとっても有益でした。


実験後日談

実験が終わってから気付いたのですが、今回「アンフォラ熟成ワイン」として購入したワインは、厳密には素焼きの陶器ではなく、「コッチョペスト(石灰と焼成レンガを主原料とした容器)」で発酵・熟成されたものでした。

古代ギリシアの素焼きアンフォラとは材質が異なるため、酸素の取り込み方などは多少違うと考えられます。ただ、木樽のような香りが付かず、陶器系の容器で醸造されているという点では、今回の実験の目的から大きく外れるものではなかったと思っています。

さらに調べてみると、ポルトガルにはヴィーニョ・デ・ターリャ(Vinho de Talha)という、まさに陶器の内側を松脂でコーティングして造る伝統的なワインが今でも残っていました。しかも日本でも購入できるようです。

これを先に知っていれば、わざわざ自分でアンフォラを作らなくてもよかったのでは?とも。

とはいえ、自分で作ったからこそ分かったこともあります。

私は最初、松脂だけを加熱してコーティングしたのですが、とにかく粘度が高くて流れず、アンフォラ全体に均一に塗るのにかなり苦労しました。
一方、ヴィーニョ・デ・ターリャでは、松脂に蜜蝋やオリーブオイルを混ぜて塗りやすくしているそうです。

これは実際に作ってみなければ気付かなかった点でした。多少遠回りにはなりましたが、自分の手で再現してみたからこそ得られた収穫だったと思います。