羊皮紙陶房では、古代ギリシア陶器を制作するための資料として、実際の古代陶器を収集・観察しています。
このページでは、羊皮紙陶房が所蔵する古代ギリシア陶器を紹介するとともに、それぞれの器の用途や特徴、どのような文化の中で生まれたのかを、できるだけ分かりやすく解説します。
大きさがわかりやすいように、実際に手で持った写真も掲載しています。
酒宴の器
アッティカ黒絵式キリクス(アイ・カップ)

年代:紀元前6世紀末
産地:アッティカ(アテナイ)
技法:黒像式
このキュリクスは、アテナイで紀元前6世紀末に制作された黒像式のアイ・カップです。外側には大きな目が描かれていることからこの名で呼ばれています。ワインを飲み干すときに大きく器を傾けると、対面の人からはまるで喜劇の仮面を被っているように見える、宴会の盛り上げツール的な器です。
側面には、酒神ディオニュソスの従者であるサテュロスとマイナスが描かれています。彼らは古代ギリシアの酒宴(シンポシオン)を象徴する代表的な存在で、酒の歓びや陶酔、祝祭の世界を表しています。
杯の内側中央(トンド)にはゴルゴンの顔が描かれています。ゴルゴンは、目と目を合わせると見た人を石に変えるという怪物。ワインを飲み干す際にその姿が現れます。周りの人は喜劇仮面でクスクス笑っている中で、飲み手はゴルゴンと対面するという仕掛けです。
本器は一部に欠損と古い補修があります。
来歴
- アッティカ(アテナイ)製
- 20世紀前半にイングランド北西部で収集
- マンチェスター地方の芸術信託財団旧蔵
- Helios Gallery(英国)を経て2025年取得
アッティカ黒色無茎キュリクス(ΘΡΑの刻書)

年代:紀元前5世紀後半
産地:アッティカ(アテナイ)
この無茎キュリクスは、紀元前5世紀後半のアテナイで日常的に用いられた酒杯です。
底面には、焼成後に鋭利なもので刻まれた「ΘΡΑ」(トラ)というギリシャ文字が残されています。これは Thrason(トラソン) などという所有者の名前を略した、持ち物への記名だと考えられます。
このような刻書はアテネの古代アゴラ遺跡から出土した陶器にも数多く見られます。古代アテナイでは器に名前や印を刻むことが広く行われていたようです。
陶器を削って文字を書くという行為は、アテナイ民主政で行われたオストラキスモス(陶片投票)にも共通する文化です。日用品に名前を刻む習慣と、陶片に政治家の名を書いて投票する慣習は、ともに陶器が文字を書く身近な媒体であったことを物語っています。
カンパニア ステムレス・キュリクス

年代:紀元前4世紀末~前3世紀初頭
産地:南イタリア・カンパニア地方
このキュリクスは、南イタリア・カンパニア地方で制作されたものです。水平に張り出した把手と、やや深めの鉢形が特徴で、食卓や酒宴、祭祀などさまざまな場面で使用されました。
この時代のカンパニアでは、黒絵式や赤絵式のような絵画的装飾は次第に少なくなり、器の美しい形と黒色の仕上げを生かした実用的な陶器が広く普及します。本品もその代表的な一例で、ヘレニズム時代の人々の日常生活を伝える器です。
表面には、長年土に埋まっていたことによる「銀化」が見られ、ローマングラスのような妖艶な虹色の輝きを放っています。
グナティア様式スキュフォス

年代:紀元前4世紀
産地:南イタリア・アプーリア地方
このスキュフォスは、南イタリアで制作されたグナティア様式の陶器です。黒色スリップで仕上げられた器体に、光沢の異なる黒で文様が描かれています。実際に黒で描かれたのか、焼成の不具合や経年変化で変色したのかは定かではありません。
グナティア様式は、南イタリアのギリシア系植民都市で発達した陶器様式で、古典期からヘレニズム時代へ移り変わる時代を代表するものです。本器も、アテナイの陶器とは異なる南イタリア独自の美意識と技術が感じられます。
また、腰部がくびれた独特の器形は、アテナイのスキュフォスとは異なるこの地域の工房に見られる特徴の一つで、地域色豊かな造形を楽しむことができます。
生活・祭祀の器
アッティカ赤像式ヒュドリア

年代:紀元前5世紀末~前4世紀初頭
産地:アッティカ(アテナイ)
技法:赤像式
この小型ヒュドリア(水瓶)は、表面の摩耗が著しいものの、櫃(ピュクシス)を手にした女性が描かれていたことが確認できます。このような女性像は、アッティカ赤像陶器でよく見られる主題です。
女性が櫃や鏡、装身具を持つ場面は、婚礼の支度を表すこともあれば、葬送の準備や供物を捧げる場面を表すこともあります。古代ギリシアでは、結婚と死はともに人生の重要な節目として象徴的に結び付けられており、両者を明確に区別できない図像も少なくありません。
摩耗のため詳細な判読は困難ですが、こうした古典期アテナイの女性像を伝える一例として興味深い資料です。
アッティカ赤像式スクワット・レキュトス

年代:紀元前5世紀後半~4世紀初頭
産地:アッティカ(アテナイ)
技法:赤像式
このスクワット・レキュトス(低い胴をもつ油瓶)には、両腕を広げて踊る、または遊ぶ少女が描かれています。髪型や衣装から、古典期アテナイの子どもを表した人物と考えられます。手に持っているものは、この時代によく遊びで使われていた、羊のくるぶしの骨でしょうか(現代でもモンゴルで「シャガイ」としてサイコロのようにして使われます)。
このような子どもの図像は、ディオニュソスを讃える祭礼であるアンセステリア祭と関係すると考えられており、祭りに参加する子どもの姿を表したものとする説があります。また、レキュトスは墓への供物として用いられることも多く、死後の世界での幸福や祝祭を象徴した図像と解釈されることもあります。
小さな器ながら、古代ギリシアの祭礼と葬送という二つの文化を伝える興味深い作品です。
黒像式レキュトス(断片)

年代:紀元前6世紀頃
産地:アッティカ(アテナイ)?
技法:黒像式
このレキュトス(油瓶)は、紀元前6世紀に制作されたと考えられる黒像式陶器です。レキュトスは香油を入れる器として用いられ、日常生活だけでなく墓への供物としても広く使用されました。
胴部には人物と動物が描かれていますが、摩耗が著しいため図像の詳細は判然としません。酒神ディオニュソスが酔った鍛冶神ヘーパイストスをロバに乗せてオリュンポスへ連れ帰る神話を表した場面に似ていますが、現状では確定することはできません。
損傷はあるものの、黒像式特有の刻線によるディテール描写や薄く溶いた黒色スリップが、古典期の陶工たちの技術を今に伝えています。
制作研究資料(断片)
黒像式レキュトス断片(パルメット文)

年代:紀元前6世紀頃
産地:アッティカ(アテナイ)?
技法:黒像式
この断片は、香油を入れる器「レキュトス」の胴部です。表面には、パルメット(棕櫚葉)文様が描かれています。
パルメット文様は古代ギリシア陶器によく用いられた装飾で、レキュトスのような香油壺にも数多く見ることができます。小さな断片ではありますが、当時の陶工の技法や美意識を知ることができる資料です。また、断片だからこそ、破断面から壁厚などの情報も読み取れる利点があります。
赤像式クラテール断片

年代:紀元前4世紀末~前3世紀
産地:ギリシア(推定)
技法:赤像式
この断片は、ワインと水を混ぜるための大きな器「クラテール」胴部の一部分です。表面にはパルメット文様とメアンダー(雷文)が描かれており、古代ギリシア陶器によく見られる装飾が残されています。
クラテールは酒宴(シュンポシオン)の中心に置かれ、水とワインを混ぜるために用いられました。小さな断片ではありますが、2500年以上前の酒宴文化を今に伝える貴重な資料です。
古代陶器は、眺めるだけでは分からない情報を数多く持っています。
器の寸法や重量、焼成痕、指の跡、表面の摩耗、さらには顕微鏡で見える粒子の状態などを調べることで、2500年前の陶工たちがどのように器を作っていたのかを知ることができます。
次の「古代ギリシア陶器の観察」ページでは、これらの陶器を実際に観察・計測した内容を紹介します。
このテーマをさらに知る
- 古代ギリシア陶器(トップ)
- 古代ギリシア陶器の歴史
- 古代ギリシア陶器の制作技法
- キュリクス
- 古代ギリシア陶器コレクション
- 古代ギリシア陶器の観察


















